飴と鞭の匙加減〜うちの子は褒めても叱ってもうまくいきません〜


子育てに付き物の議論の一つが、飴をくれようか、鞭をくれようかというテーマです。
結論からいってしまえば褒める(飴を与える)にしても、叱る(鞭で叩く)にしても、状況を考慮してほどほどにと
いうことでしょうか。その匙加減は体験から学ぶしかありません。
しかし、この場合注意しなければならないことは、調教と教育は異なるということです。

具体的に話しましょう。我々はサーカス等を見物に出掛けるたびに、様々な動物が披露する驚くような動作に
拍手喝采します。
あのようなショーに登場する動物たちは、調教師の飴と鞭によって様々な芸を仕込まれているのです。
つまり、ある動作が調教どおりに上手くできたときにはご褒美(お気に入りの餌)が与えられ、練習に身が入ら
なければ鞭をくらうというやり方です。
言うまでもないことですが、この場合、動物たちは心から納得をして、あのような芸をしているのではなく、上手
にやるとご褒美がもらえるからやっているわけです。
サーカスを例にするまでもなくこれは、皆さんが飼っている犬に『おすわり』『おて』『ちんちん』等を教えるときの
やり方と全く同じです。
確かに調教も教育の一種ですが、人間の子どもたちに対して行う教育は、心から育てることに重点があります
から、調教的な躾をすると大変な間違いを犯すことになります。
まずは、上里先生の話に耳を傾けてください。

「子どもというのは確かに、褒められたことは喜んでやろうとします。しかしこれは好きでやっているとか心の
底からやりたいという気持ちでやっているのではありません。ただ褒められようと思ってやっているだけなので
す。こうしたやり方が何故いけないかを説明しましょう。
例えば絵を描くのが大好きな子がいたとします。ところが幼稚園にいる間は一生懸命に絵を描いたこの子が、
小学校に行ったら描かなくなってしまいました。いったいどうしたのでしょう。
また、次のような例もあります。
ある子どもは幼稚園の頃は毎日、絵日記を書いていたのですが、小学校に通い始めたらピタッと書くのを止め
てしまいました。これは一体何故でしょう。読者の皆さんはその理由がわかりますか。
そうした子どもたちの親は決まって『うちの子はどうしてこうも長続きしないのでしょう』と嘆くのですが、実のとこ
ろ、そのようになってしまった本当の原因は子どもの飽きっぽい性格にあるのではなく、『飴』を与えすぎてしま
った側にあるのです」

上里先生の話は続きます。

「例えば、幼稚園の先生からいつも絵のことで褒められている子どもがいたとしましょう。その子は幼稚園にい
る間は喜んで絵を描こうとします。それは先生に褒めてもらうことが嬉しいからです。幼稚園の先生もその子が
絵を描くことを好きになっていると思っているかもしれません。
ところが小学校へ通うようになり、その先生が幼稚園の先生のように褒めてくれなかったらどうでしょう。
先生に褒めてもらうことが目的で絵を描いていた子は絵を描く目的を失ってしまいます。
ですから忽ち絵を描かなくなってしまうのです。
ということは今まで絵を描くことは特別に好きだったわけではないのです。
幼稚園にいる間、絵日記を毎日まいにち書いていた子の場合も同じです。
絵日記を持っていくと、先生が「上手にできましたね」などといって褒めてくれるので、その先生に褒められようと
、その子はせっせと絵日記を書いていたわけです。
小学校でも同じように褒め続けてくれる先生がいれば話は別ですが、大抵そうはいきません。
というわけで、褒めすぎるということはそのことを本当に好きにするということにはなりません。
大事なことは子どもが楽しんで絵を描いているのか。絵日記を書く習慣が身についているのかということでありま
す。
世の中には『子どもは褒めて育てなさい』などと無責任なことを言う教育評論家もどきがいますが、これを鵜呑み
にして教師や親が『褒めて育てる教育』を実行しようものなら、子どもの心には『褒められたいという能力ばかりが
育って、本心から『やりたい』という心は少しも育たないでしょう。
そもそも自分でやりたいと思ってやることは宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ』のように『褒メラレモセズ、苦ニモサレズ』
やるものなのです。」

ところで、このような上里先生の話を聴くと、「それならひとつ、我が家ではあまり褒めずに厳しく叱って育てよう」
などと短絡的に考え、あれは駄目、これは駄目、ああするな、こうするなと口出しする父親および母親が出てきそう
な気がしますが、そんなことをしたら、子どもはもう本当に、なにもしたくなくなってしまいます。

「バカ」「だめ」「へたくそ」等々の言葉は「うるさいなあ、そんなの俺の勝手だろ」などという殺伐とした心と言葉をこど
もに求めているようなものでしょう。
幼いときには甘やかしの褒め過ぎ傾向にあったものが、途中からいきなり軌道修正して、今度は叱り過ぎにスイッ
チを入れっぱなしにするような家庭環境が多いと聞きます。
つまり、褒め過ぎるというやってはいけない教育から、叱りすぎるというやってはいけない教育の列車に乗り継ぐわ
けですから、その行き先が危ぶまれるのは当然のことでしょう。
仔羊幼稚園ではこうしたことを考慮し、『子どもたちを褒めるにも叱るにもほどほどに』を徹底しています。

例えば、子どもが絵を描けば、絵を一生懸命描いたということに価値があるのですから、「ああ、よく描けたね。また
明日も描こうね」とそれだけでよいのです。
また、上里先生の場合、教育指導においては、褒め言葉も叱る言葉も短いものがよいと考えており、褒める言葉と
しては「いいね!」「よし!」「よかった!」「えらい!」程度を、一方、叱る言葉としては「だめ!」あるいは単に「めっ!
」を推奨しています。
もちろん、こうした短い言葉の効き目は、その言葉を使うタイミング、そしてその言葉に込められる親や教師の人格及
び愛情に左右されることはいうまでもありません。
なお、子どもたちが一日の大半を過ごす家庭における言葉のやりとり、とりわけ、誉め言葉や叱り言葉の影響は甚大
であり、父親や母親の誉め方あるいは叱り方一つが子どもの人生を左右することを、よくよく考えましょう。

・上里龍生先生
子羊幼稚園園長(学校法人上里学園理事長/日本幼児基礎能力研究会会長)
上里式教育理論で著名な教育家であり、親子二代に亘る幼児教育の実践は、能力開発のあるべき姿を
実証した具体的な取り組みとして、学校教育全体に大きな影響を与えている。
また著作活動も旺盛で、教材開発企業『エフエイ研」から、独創的な各種のプリント教材(みみず、めだか
すずめ、てんとうむし)、素読教材、短冊教材などを多数出版している。

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