その気にさせる心配り
親は自分の欲望から、そして教師は自分のノルマとして、子どもに学習させたがります。
「お絵かきしなさい」「ピアノを弾きなさい」「学習塾に行きなさい」「今日の復習をしなさい」「明日の予習をしなさ
い」などなど、それはそれは盛りだくさんです。
また、学校ではお勉強だけでなく、かけっこや跳び箱、バレーボールやバスケットなど、色々なスポーツもやら
せます。
何でもかんでも子どもにやらせることも大いに結構なことですが、子どもたちがやりたいと思ってやっていること
と、やらされてやっていることとは、同じことをやっていてもそれは全く違うことをやっているのです。
大人の我慢とは異なり、子どもの場合は、無理強いされてやるような状態は、精神的にやらないほうがましな状
態でしかないのです。
つまり、何かをやらせようと思ったら、教師はそこで一工夫をして、子どもがやりたいと思うような気持ちにさせる
ことが必要なのです。
上里先生の言葉を借りるなら、絵を描きなさいと言って描かせるのではなく、描きたいと思わせて描くように仕向
けることが大切なのです。
ではどのようにすれば、子どもたちはやりたいと思ってやるのでしょうか。
上里先生によると、子どもたち、特に幼児の場合は、「自分はこの先生が好きだ」と思っていれば、先生が「さあ
絵を描こう」「さあ本を読もう」「さあ、歌を歌おう」といった具合に、「さあ」という言葉が発した途端に、何故か、そ
れがやりたくなり、楽しい気分になるのです。
上里語録にはしばしば驚嘆しますが、これもまた、まるで魔法のようではありませんか。
もっとも、上里先生は次のような注意も忘れません。
生き生きとした言い方で『さあ、やろう』『さあ、これをしよう』と一言いうだけで、確かにその瞬間、子どもはその
気になるのですが、実はその後が問題です。
子どもたちのやりたいと思う気持ちはほんの一瞬です。
そのときすでに行動に移っていればそのままやりたいという気持ちのままそれをすることができるのです。
ところが『さあ、これをしましょう。ちょっと待ってね、今用意をするからね』といって、ゴソゴソ準備をしていたら、
忽ち子どもの心は冷めてしまいます。
たとえそれが十秒程度のことでももう手遅れでしょう。
それに子どもの十秒は我々大人にとっての一分以上の時間です。
これはやはり、心臓の速さとか、呼吸の速さなどにも関係があるのですが、私たちがちょっと待たせただけなの
にと思っても、子どもにとってはもう大変に待たされたような気分になるわけです。
ですから、先生の掛け声と子どもたちの行動が同時に行えるように準備しておけば大抵のことは子どもはその
気になってしまうものなのです。
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