ドクター中松(中松義郎氏)コラム

頭の良い子を育てる環境・運動・食事
〜ドクター中松のブレイン<脳>・エクササイズ
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母流のユニークな学校選択

私はただの一度も、母が「勉強しなさい!」と言うのを聞いたことがない。
母は、女高師(現在のお茶の水女子大学)を卒業している。
女性が学問をすることが珍しい時代にあって、たいへんなインテリである。
しかも、女高師を卒業し福知山の女学校の教職に就き、日本で初めて和服から洋服の制服の導入、スキー授業の導入など「教育発明」を次々に実施した。
その後、母は結婚して家庭に入り、多くの生徒を教えるかわりに私を集中教育した。
私をどの学校に入学させるかということに対しても、ひじょうに熱心に取り組み、優れているという評判の学校を可能な限り調査し、さまざまな情報を集めて、最終決定した。
母が選んだのは、名門として名高い麹町にある番町小学校だった。

しかしそこで、ひとつの問題が持ち上がった。
私たち家族は原宿に住んでいたため、学区が違う。
普通ならそこであきらめてしまうところであるが、母は決して妥協せず、さまざまなアイデアを練った。
結局、四谷に住んでいる叔父の家に寄留し、越境入学をすることができた。

その後も母は、常に私の学校教育に関心を抱き、私にとって現況がベストの状態か否かの調査を続けた。
その情報の中から、番町小学校よりもさらに良い学校を選び出した。
現在の学芸大学付属小学校である青山師範学校付属小学校だ。
四年生の編入試験を受けて、私はそこに転校した。
青山にあったので、原宿の自宅からは、通学も便利だった。

しばらくして、この青山師範学校付属小学校が移転することになった。
移転先は、現在の東横線学芸大学。この移転を機に、東横線では、わざわざ第一師範(青山師範が第一師範という名に変わり、その後学芸大学と変わる)という駅をつくった。

すると母は、学校からわずか300メートルのところに200坪の土地を購入し、そこに家を新築して、家族全員が引っ越す提案をし、実行した。
原宿という都心の一等地に比べれば、父の通勤時間も長くなる。
が、それらの不便さを考慮しても、子どもの教育のための英断と投資であった。

それまでふつうの母親のように勉強しろと言ったこともなかったし、何に対しても強制されたこともなかった私であるが、母の教育に対する熱意と意識、そしてその無言の迫力を見に染みて感じたのである。
また、母が私に寄せてくれている期待も、ひじょうにうれしかった。
おかげで、私は自発的にがんばろうという意識を高め、それまで以上に勉強に取り組んだ。

このエピソードは、子どもの教育に対する親の姿勢を、如実に語っている。
仮に私の母が、「勉強しなさい!」と口うるさく言うだけの母親であったなら、私はあれほど勉強が好きにはなれなかったし、自発的に机に向かうこともなかったかもしれない。
勉強に関して何ひとつ口を出さなかった母だが、実はどの母親よりも教育に対して熱心な姿勢を貫いていたのだ。
私が自発的に勉強するようにという母の計画に、知らず知らずのうちに、みごとに私ははまってしまったのだ。

子どもと顔を合わせるたび「勉強しなさい」という言葉を繰り返し、子どもの体力も通学時間もかまわずに有名学校に通わせる母親と、何も言わずに学校のすぐ近くに新しい土地まで買って家を新築し、その中に私のために技工室まで造って、家族全員で引越しをしてしまう母親。
どちらに育てられた子どもが勉強好きで創造する子どもになるか、また、その脳力を発揮するか、これは誰が見ても一目瞭然であろう。

学齢に達する頃には、子どもといえども、それぞれの自我が芽生えている。
こうなると、言葉だけでは動かすことはできない。
口先だけの言葉よりも、子どもは親の行動を見ているのである。
自分には勉強しろと口うるさく言いながら、親自身はくだらないテレビを観ていたりすれば、少なからず軽蔑する気持ちも生じるだろう。
いくら強制しても、自発的な行動でなければ、それは、少しも子どもを成長させない。

子どもに対して親ができることは、限られている。
その中で精一杯、有意義なことをしてあげるべきである。
可能な努力の中でいちばん効果的なのは、言葉ではなく、環境づくりである。
子どもが自発的に行動を起こすような環境を工夫し、それを整えてから、きっかけをつくってあげる。
自分の翼で飛び立とうとしている子どもに、そっと風を送ってあげる。
そんな環境づくりこそ、親ができる最高のことなのである。

ドクター・中松(中松義郎博士)
1928年、東京に生まれる。
東京大学卒業。工学、法学、医学、理学、人文学博士。
わずか5歳で重心安定装置付き飛行機を発明して以来、フロッピーディスク、灯油ポンプ、フライングシューズなど発明件数は3200件以上、これはエジソンの1093件を抜いて世界1位である。
また、IBM社に16の特許をライセンスしている世界唯一の個人である、世界発明コンテストでは41年連続で世界グランプリを獲得している。
セントルイス大学、ワシントン大学、東京大学などで、教授、上級教授として講義を持ち、米国大学副学長・米国で初めて子ども発明クラブ設立。
ロサンゼルスをはじめ全米10都市では「ドクター中松記念日」が制定されアメリカ名誉市民である。
日本が世界に誇る科学者でアメリカ科学学会で歴史上で最も、偉大な五人の科学者の一人に選ばれた。
(他の四人はアルキメデス、ファラテー、キューリ夫人、テスラー)。

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